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東京高等裁判所 昭和41年(ネ)2734号 判決 1969年5月30日

控訴人(附帯被控訴人)

指定代理人

朝山崇

外一名

被控訴人(附帯控訴人)

米内真理子

代理人

時田太郎

外一名

主文

一、控訴人(帯附被控訴人)の本件控訴を棄却する。

二、原判決中附帯控訴人(被控訴人)敗訴の部分を取消す。

附帯被控訴人(控訴人)は附帯控訴人(被控訴人)に対し金一〇〇万円およびこれに対する昭和三七年九月二〇日以降支払ずみまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

三、訴訟費用は第一、二審を通じすべて控訴人(附帯被控訴人)の負担とする。

事実

控訴人(附帯被控訴人、以下単に控訴人という。)指定代理人は、「原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決および附帯控訴につき附帯控訴棄却の判決を求め、被控訴人(附帯控訴人、以下単に被控訴人という。)訴訟代理人は、控訴につき主文第一項同旨の判決および附帯控訴として主文第二、三項同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張ならびに証拠の関係《省略》

理由

一、被控訴人が昭和三五年二月八日(当時高校一年在学中)東京大学医学部附属病院分院耳鼻科において、同病院所属医員掘口信夫医師の診断を受け、両側慢性鼻腔炎(いわゆる蓄膿症、鼻腔内分泌物過多・中鼻甲介腫脹・中鼻道閉塞等の所見あり)と診断され、それ以来同医師を受持医として昭和三七年九月末頃に至るまで同分院において同医師からその治療を受けたこと、その間堀口医師は、被控訴人に対し薬物治療を施すかたわら、昭和三六年四月一七日両側粘膜下下甲介切除手術、同年一二月二一日再度両下甲介切除手術を行い、さらに昭和三七年三月二日右側慢性副鼻腔炎の根治手術、つづいて同月一四日左側慢性副鼻腔炎の根治手術ならびに病巣感染を防ぐための扁桃線摘出手術をしたが、なお被控訴人の病状は軽快するに至らず、昭和三七年八月一八日の診療の際には、中鼻甲介に浮腫性腫脹が認められ、篩骨洞に病変の残存することが推測されたこと、ここにおいて被控訴人に対しさらに鼻腔の浮腫性粘膜を切除し、前部篩骨洞を開放して膿を排出するため鼻内篩骨洞開放手術を、まず右側ついで左側の順序で行うこととなり、被控訴人は昭和三七年九月一八日東京大学医学部附属病院分院に入院し、翌一九日堀口医師の執刀による右側鼻内篩骨洞開放手術(以下本件手術という。)を受けたこと、本件手術前は、被控訴人の視力は左右両眼とも1.2で正常であつたこと、本件手術は全身麻酔をかけて行われ、約一時間足らずで終了したが、手術終了後被控訴人が麻酔から覚めたときには、すでに右眼の視力が零となつており、被控訴人の右眼失明は、堀口医師による本件手術の過程において生じたものであることおよび本件手術の日の翌々日である同月二一日同分院眼科医による診察がなされた結果、被控訴人の視力障害は本件手術時の損傷による右眼球後部障害と診断され、それ以来昭和三八年一月一四日に至るまで同分院眼科医によつて薬物投与による保存的療法が行われたが、被控訴人の視力は遂に回復しなかつたことは、いずれも当事者間に争がない。

二、ところで、<証拠>によれば、堀口医師が被控訴人に対して昭和三七年三月二日にした右側慢性副鼻腔炎の根治手術および同月一四日にした左側慢性副鼻腔炎の根治手術および同月一四日にした左側慢性副鼻腔炎根治手術は、唇の裏と歯齦の間を切開し、上顎洞の病的粘膜を除去したうえ、鼻の側壁を除いて洞内から鼻腔に膿が自然に流出する孔を作り、さらに上顎洞を経由して篩骨洞内の蜂の病変部分を掻爬して除去する手術であり、同医師はこれと同一の手術を、これより先昭和三六年三月二〇日過ぎにも被控訴人に対し行つていること、右手術は、上顎洞を経由する関係上、これによつて篩骨洞の後部の病変組織を除去することは容易であるが、篩骨洞前部は死角になりやすいためその病変組織を除去することは比較的に困難であること、堀口医師が被控訴人に対して昭和三七年九月一九日にした右側鼻内篩骨洞開放手術(本件手術)は、鼻腔を経由し、下甲介と中甲介の間にある中鼻道の粘膜を切りとり、篩骨洞の前壁を露出させ、この前壁を鋭匙鉗子および鋭匙を用いて破り、篩骨洞内が見えるようにし、洞内の蜂の療変部分を掻きとつて除去するものであつたことを認めることができる。

三、そこで進んで本件手術にあたつて、堀口医師に過失があつたかどうかの点について考えてみるに、耳鼻咽喉科の医師が副鼻腔炎治療のため鼻内篩骨洞開放手術をなすにあたつては、手術の過程において失明の結果を生ぜしめるがごとき行為をしないよう万全の注意を払うべき業務上の注意義務があることはもちろんであつて、いやしくも手術の過程において失明の結果が生じた以上、それが不可抗力によるものであるか、少くとも現在の医学智識をもつては予測し得ない特異体質等その他これに類する原因に起因することの立証がない限り、当該手術にあたつた医師に過失があつたものと推定すべきである。

いま本件についてこれをみるに、被控訴人の失明の結果が堀口医師による本件手術の過程において生じたものであることは、当事者間に争なく、右失明の結果が不可抗力その他前掲のような原因によるものであることを認めるに足る証拠はないのみならず、かえつて、<証拠>を総合すれば、「鼻内篩骨洞開放手術とは、一般に慢性篩骨蜂巣炎に対し鼻腔を経由して篩骨蜂巣を削開し、その内部の病巣を剔除する手術をいうのであり、この手術による失明は非常にしばしば遭遇するものではないが決して絶無ではなく、その原因としては手術器具による視神経の損傷、網膜中心動脈の栓塞、眼窩内出血あるいは出血に起因する視器全般の浮腫または炎症等があげられており、堀口医師は、相当経験ある耳鼻咽喉科専門の医師として、鼻内篩骨洞開放手術に際し措置を誤れば、右のような原因から失明の合併症を生ぜしめる危険があることを知つていたが、本件手術時被控訴人の出血が多量であつて手術部位の視野の確保に困難を来し、かつ、被控訴人が前に同一患部を手術をしたことがあるため瘢痕組織が生じ患部が硬質化していたので掻きとりにくくなつていたこと等の悪条件が重なつたため、篩骨洞内の病巣を掻爬するに際し、手術器具の操作を誤り、篩骨洞と眼窩との隔壁をなしている紙状板(紙様板ともいい、薄い骨の壁)を破り、これを越えて器具を眼窩内に挿入し、直接に、ないしは骨片その他なんらかの介在物を通じて間接に、右眼球後部の視神経もしくは血管に衝撃を加えてこれを損傷し、もつて被控訴人の右眼失明の結果を来さしめた。」ものと推認するのを相当とし、<証拠>中右認定に反する供述部分はにわかに措信し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はないから、堀口医師は過失の責を免れないものといわなければならない。《以下省略》(古山宏 川添万夫 右田堯雄)

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